大判例

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大分地方裁判所 昭和61年(ワ)67号 判決

原告

冨成榮夫

冨成共子

右両名訴訟代理人弁護士

徳田靖之

工藤隆

被告

右代表者法務大臣

梶山静六

右指定代理人

日高静男

外七名

被告

甲野聡

右法定代理人親権者父兼被告

甲野岩義

右同親権者母兼被告

甲野智子

右三名訴訟代理人弁護士

松木武

主文

一  被告甲野聡は、原告らに対し、それぞれ金一〇四四万〇〇七一円及びうち金九四四万〇〇七一円に対する昭和六〇年一〇月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告甲野聡に対するその余の請求及び被告甲野岩義、同甲野智子に対する請求並びに被告国に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告甲野聡との間においては、原告らに生じた費用の二分の一を被告甲野聡の負担とし、その余を原告らの負担として、原告らと被告甲野岩義、同甲野智子及び被告国との間においては、全部原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告ら各自に対し、各金二二二三万二八八五円及びうち金二〇七三万二八八五円に対する昭和六〇年一〇月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  予備的に仮執行免脱宣言(但し被告国のみ)

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 亡冨成達也(以下「達也」という。)は、原告冨成榮夫(以下「原告榮夫」という。)と同冨成共子(以下「原告共子」という。)の長男として昭和四五年八月三〇日に出生し、後記本件事故が発生した昭和六〇年一〇月当時は、大分大学教育学部附属中学校(以下「附属中」という。)三年C組に在籍する生徒であった。

(二) 被告甲野聡(以下「被告聡」という。)は、昭和四六年一月二八日に出生し、昭和六〇年一〇月当時附属中三年D組に在籍する生徒、被告甲野岩義(以下「被告岩義」という。)は被告聡の父、同甲野智子(以下「被告智子」という。)はその母で、いずれもその共同親権者である。

(三) 被告国は、附属中の設置者である。

2  事故の発生

達也は、昭和六〇年一〇月二三日午後四時すぎころ、下校するため三年D組の教室へ友人を誘いに行ったところ、被告聡が、同組の生徒である野間裕隆の机で数学の二次関数の問題を解いていたので、達也のほか都甲敏弘、嶋津賢士がその中に加わり、これを見ていたが、そのうち、被告聡が達也に対して、「これ知っちょん。」と問題を示したところ、達也が「分からん。見たことねえ。」と答えたのに対し、被告聡が「えー知らんの。」と冷やかしたので、達也が「お前、野間に似てきたのー。」と言い返した。お前と言われて自らが侮辱されたと思った被告聡が「お前ちゃなんか。」と問いただしたのに対し、達也が「いいじゃないか、お前で。」と言い返したので、これに立腹した被告聡は、座ったまま突然達也の腹部を一回突いた。これに怒った達也が被告聡に殴りかかろうとしたが、被告聡も、それと同時に立ち上がり、左横に座っていた都甲を押しのけて達也の方へ進み、都甲の制止を振り切り、達也に挑みかかり、その顔面・頭部を殴り、達也も当初応戦して殴り合いになったが、やがて殴合いは被告聡の一方的なものとなり、達也は防戦一方の形で、被告聡に背を向け、中腰で左右の耳付近に両手をおいて被告聡の殴打を防ぐようになった。しかし、被告聡はなおも達也の背後からその後頭部や肩を左右の手拳で一〇数回殴打する暴行を加えた後、野間の机に戻った。そこで達也も野間の机まで戻り、屈んで鞄を取り上げようとしたが、取り上げ得ないままよろよろしながら教壇の方へ約二メートル位いったところでけいれんを起こして転倒し、直ちに救急車で永冨脳神経外科病院に搬入されたが、同日午後一〇時三〇分、被告聡の殴打によるクモ膜下出血により同病院で死亡した(以下「本件事故」という。)。

3  被告らの責任

(一) 被告聡の責任

被告聡は、本件事故当時満一四歳八か月の事理の弁識能力を備えた中学三年生の男子生徒であったところ、前記暴行により、達也を死亡させるに至ったのであるから、民法七〇九条の不法行為責任がある。

(二) 被告岩義、同智子の責任

被告岩義、同智子は、被告聡が気性の激しいカーッとなる性格をしており、かつて喧嘩をして他の生徒にけがをさせたことがあるのを知っていたのであるから、被告聡に対し、平素喧嘩をしないよう、暴力を振るわないよう説諭するとか、話合うとか等の方法により本件事故の発生を未然に防止すべき監護教育義務があったのに、これを怠った過失により本件事故を発生せしめたものであるから、民法七〇九条の不法行為責任を免れない。

(三) 被告国の責任

(1) 学校教育法の精神ないし立法趣旨からすれば、公立中学校の教師には職務上当然に生徒を親権者等の法定監督者に代わって保護し監督する義務があるところ、学校事故は生徒の安全に教育を受ける権利の侵害として、憲法二六条に基づく教育権保障の一環の問題として捉えるべきものであるから、事故発生の予見、回避義務は、一人教師個人に求められるものではなく、学校という教育組織全体に求められるべきである。したがって、学校事故による損害賠償の前提とされる教師等の故意、過失は、教師個人の有責性とともに当該学校組織全体に求められるべきである。

(2) ところで、教師が保護監督義務を負うのは、学校における教育活動及びこれと密接不離の関係にある生活関係に限られるが、本件事故は、次に述べるとおり正規の授業時間終了後における附属中が自主学習と称している時間帯に発生したものであるから、少なくとも附属中の教育活動と密接不離の関係にある生活関係における事故として、附属中の保護監督義務の範囲内で発生したものというべきである。

すなわち、自主学習は、生徒が不得手な科目を勉強するため自主的に居残って勉強するものであり、これは、中学校学習指導要領第四章にいう自主的・実践的な態度を育てるという目標に基づき、学業上の不適合の解消、学習の意欲や態度の形成等を取り上げるということと軌を一にするもので、附属中が県内随一の進学校とされているのもかかる自主学習の活用によるところが大きく、現に本件事故当時、少なくとも一九名の生徒が三年D組の教室内に在って勉強をするなどしていたうえ、本件事故当日ころは、近ずく文化祭に備え、各クラスとも自主学習時間帯にその準備活動を行っていたのであるから、附属中においては、自主学習は、正規の教育活動を補完するものとして、まさに教育活動の一環として重要な役割を果たしていた。

(3) ところで、一般的に、いじめ、喧嘩等のいわゆる学校暴力が放課後等教師のいない時間・場所において発生することが多く、附属中においても、過去多くの暴力沙汰や喧嘩が発生しており、その中には被告聡による暴行事件も含まれ、少なくともそのうち二回については、附属中側もその事実を把握していたうえ、当時三年B組の担任教諭であった宮崎和則(以下「宮崎教諭」という。)は、被告聡の平素の性癖・行動を正確に認識していたのである。しかのみならず、本件事故発生当日は、中間考査の前日ということに加えて文化祭も近ずいていたのであるから、文化祭の準備を行っている者の間に醸成される解放的雰囲気が引き金になって暴力行為等が発生することは十分予見できたのである。したがって、附属中としては、右自主学習時間中といえども担任教諭ないしは代わりの教諭をして教室に在室させておくとか、少なくとも巡回させるなどして、また本件事故の発生した三年D組の担任教諭であった志藤良久(以下「志藤教諭」という。)も自ら教室に在室するか、少なくとも巡回するなどして生徒間に喧嘩等の暴力行為が発生することを未然に防ぎ、万一これが発生した場合には重大な結果を招かないようにこれを抑止すべく適切な措置を行う保護監督義務があった。

(4) しかるに、附属中は学校として、志藤教諭はクラス担任として当然行うべき右保護監督義務を尽くさず、漫然と事態を放置した過失によって、本件事故を発生させたのである。

(5) 附属中が前記(3)、(4)のとおり保護監督義務を負いながら、これを怠ったことは、附属中が、学校の対面のみを気遣い、依頼すれば外部に知られずすむと思われた永冨脳神経外科病院を院長不在と知りながら達也の搬送先病院に指定し、また本件事故を自己の判断として警察に通報せず、更に被告聡をして、達也の治療に当たった末吉医師に対し、本件暴行の事実を正確に告げさせず、かえって「暴れよったら、転んで意識が無くなった。」等と事実に反することを述べさせ、末吉医師をして、達也の死亡原因を本態性クモ膜下出血(病死)と誤診させ、右病死との診断に依拠して事後の諸問題を処理しようとしたことからも明らかである。

(6) よって、被告国は、国家賠償法一条により原告らの被った後記損害を賠償する義務がある。

4  損害

(一) 達也に生じた損害

(1) 逸失利益

達也は、本件事故当時満一五歳の健康な男子であり、学校での成績も常に上位にあり、医師になることを志していた本人はもとより、両親である原告らも達也の大学進学を強く希望していたものであるから、本件事故がなければ、達也は四年生大学に進学する蓋然性は極めて高く、その就労可能年数は大学を卒業する満二二歳から六七歳までの四五年間であり、その間のライプニッツ係数は12.632である。そこで、本件事故に近接した昭和五九年の賃金センサス第一巻第一表男子労働者新大卒の全年齢平均賃金により、生活費として五〇パーセントを控除して達也の逸失利益を算出して、一万円未満を切り捨てると、三〇九一万円となる。

(2) 慰謝料

本件事故により、医師となる夢を無惨にも打ち砕かれた達也の無念さは計り知れず、これを慰謝するには一二〇〇万円が相当である。

(3) 相続

原告らは、それぞれ達也の父母として、達也の前記四二九一万円の損害賠償請求権を二分の一ずつ相続により取得した。

(二) 原告らに生じた損害

(1) 慰謝料

達也は、原告夫婦の一人っ子であり、原告共子には過去に子宮摘出術を受けた関係上もはや実子は望めず、達也の死はその生きがいを全て奪われたというも過言ではなく、その精神的苦痛は計り知れず、これを慰謝するにはそれぞれ五〇〇万円が相当である。

(2) 葬儀料

原告らは、達也の葬儀料を支出したが、うち五〇万円は被告らの不法行為と相当因果関係にある損害というべきであるから、原告各自の負担分はそれぞれ二五万円である。

(3) 病院関係費用

原告らは、永冨脳神経外科に対し、達也の初診料・注射料等として合計五万五七七〇円を支払ったから、原告各自の負担分はそれぞれ二万七八八五円である。

(4) 弁護士費用

原告らは、本件訴訟を提起することを余儀なくされ、右訴訟の提起及び追行を原告ら代理人に委任し、その報酬として認容額の一割を支払う旨約したので、それぞれ一五〇万円を本件事故と相当因果関係にたつ損害として請求する。

(三) 損害の填補

以上により、原告らは、各自二八二三万二八八五円の損害賠償請求権を取得したところ、日本体育・学校健康センターから、死亡見舞金として一二〇〇万円を受領したので、その二分の一ずつを、右各損害の填補として控除する。

よって、原告らは、それぞれ被告ら各自に対し、二二二三万二八八五円及び右金額から弁護士費用一五〇万円をそれぞれ控除したうち二〇七三万二八八五円に対する達也死亡の日の翌日である昭和六〇年一〇月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  被告聡、同岩義、同智子

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 請求原因2の事実のうち、殴打の状況及び回数は否認し、達也の死因であるクモ膜下出血の原因については争い、その余は認める。

被告聡が達也に加えた暴行は次のとおりである。すなわち、被告聡が野間の机まで持ってきた椅子に腰掛けて、同人から二次関数の解方を教えてもらっていたところに同級生であった嶋津、達也、都甲が順次やってきて、嶋津が野間の机の右横に椅子を持ってきて腰掛け、都甲は被告聡を横に押しやり同人とともに同じ椅子に腰掛け、達也は嶋津と都甲との間に立って、それぞれ野間が被告聡に教えるのを見ていたところ、被告聡と達也との間で原告ら主張のやり取りがあった後、達也から馬鹿にされたと思った被告聡が、椅子に腰掛けたまま都甲の向こう側に立っていた達也の右脇腹を左手拳で軽く突き、達也も負けじと被告聡の左脇腹を軽く突き返し、二、三回これを繰り返した。被告聡は、達也の右態度に腹を立て、いきなりその場に立ち上がり「お前ちゃなんか。」と言いながら、右手拳で達也の左胸を強く殴りつけたところ、達也が両手で左胸を押さえ顔をしかめてその場に屈み込んだので、被告聡は、椅子に腰掛け、屈み込んでいる達也の横面を続けて二回軽く左手の甲で殴ったが、達也がじっとしていたので、勉強に戻るべく座り直した。ところが、胸の痛みが治るのを待っていたのか、達也は、突然立ち上がり「そげんなことをすんのか。」と大声で怒鳴りながら、腰掛けている被告聡の顔面を力一杯殴りつけてきたので、被告聡は、咄嗟に頭を下げてこれをかわしたがかわしきれず、後頭部を瘤ができるほど強く殴られた。被告聡は、そのままでは更に殴られると思い、立ち上がり、隣に腰掛けていた都甲を押し退け、机と机の間の通路に出て、達也に手拳で殴りかかり、達也も手拳でこれに応戦したが、最初互角に見えた殴合いも間もなく被告聡が優勢になり、達也が両腕で頭を庇い、前屈みになって教壇の方に後退し始めたので、被告聡は、そのような状態の達也の肩や首付近を二、三回殴りつけて、喧嘩は終わったものと判断し、再び元の椅子に腰掛けたというもので、その間はせいぜい四、五秒程度のものであった。

(三)(1) 請求原因3(一)の事実のうち、本件事故当時、被告聡が満一四歳八か月の事理の弁識能力を備えた中学三年の男子生徒であったことは認めるが、その余は否認する。

被告聡の暴行と達也の死亡との間には次に述べるとおり相当因果関係はないから、被告聡には民法七〇九条の責任はない。

イ 被告聡の加えた暴行は、前記のとおりごく短時間で、その傷害も左耳後部の軽い皮下出血、唇の小さな裂傷、手足の擦過傷を生じさせる程度のものであって、到底死に至るようなものではなかった。

ロ 達也には、本件事故当時手術困難な脳底動脈橋枝の最後部の一対のうち左枝の左小脳橋角部に、大豆大の動脈瘤が発症していたところ、脳底動脈瘤は、日常生活中において特別の刺激がなくても破裂するものであるから、被告聡の右程度の暴行によりこれが破裂したと断定することはできない。

ハ 達也の右動脈瘤は、本人及び両親もこれに気付いておらなかったのであるから、被告聡がこれを知るよしもなく、被告聡には、右暴行により達也が死亡するなどとは到底予見できなかったものである。

(2) 同3(二)の事実のうち、監督教育義務懈怠の点は否認し、被告岩義、同智子の責任は争う。

被告聡は、両親や教師の教えを良く守る素直で責任感の強く、過去に特別非行を起こしたこともなく、人並みに勉強のための努力もする心身ともに健全な中学三年生であって、被告岩義、同智子においても、折りに触れ指導監督をしてきていたのであるから、これに対する監督を怠ったなどということはない。

(四) 請求原因4の事実のうち、本件事故当時、達也が満一五歳であり、成績もクラスの上位にあったこと、原告らが葬儀料として五〇万円、病院関係費用として五万五七七〇円を支出していること、原告らが達也の相続人として、その権利を二分の一ずつ相続したことは認めるが、達也の健康状態及び就労可能年数については争う。

達也には、前記のとおり動脈瘤が発症しており、これは、自然治癒することはなく、早晩これが破裂してクモ膜下出血を来し、死亡する運命にあったのであるから、就労可能年数は皆無である。

(五) 過失相殺等

(1) 本件事故は些細なことから口論となり、それが昻じて殴合いとなり、達也の死を招いたのであるから、損害賠償額を定めるにつき達也の過失を斟酌すべきであるが、その割合は五割を下らない。

(2) また、前記のとおり、達也には動脈瘤の基礎疾患があったのであるから、右基礎疾患をも斟酌して損害額を定めるべきであるが、右達也の過失を併せ考えると、それは一割を上回ることはない。

2  被告国

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 請求原因2の事実のうち、達也が本件事故当時附属中三年C組に在籍する生徒であり、昭和六〇年一〇月二三日午後四時すぎころ、三年D組の教室に入っていったこと、そのころ同教室内では被告聡を含め数名の生徒が数学の問題を解いていたこと、達也がD組の教室内で倒れ、直ちに救急車で永冨脳神経外科病院に運ばれたが、同日午後一〇時三〇分に同病院で死亡したことは認めるが、達也の死因については争い、その余は不知。

(三)(1) 請求原因3(三)(1)については、中学校の教師に生徒に対する保護監督義務があることは認めるが、これを学校組織全体に求められるべきであるという主張は争う。

原告らの被告国に対する本訴請求は国賠法一条一項に基づくものであるところ、右責任の性質は、不法行為を行った公務員が負うべき賠償責任を国がこれに代って負担するいわゆる代位責任と解すべきであるから、個々の公務員の不法行為の内容を具体的に主張せず、学校組織全体の義務違反のみを理由とする主張はそれ自体失当というべきである。

(2) 同(三)(2)の事実のうち、本件事故が、正規の授業時間終了後に発生したものであることは認めるが、自主学習については否認し、本件事故が附属中の教育活動と密接不離の関係にある生活関係から生じたものであるとの主張は争う。

原告らの主張する自主学習とは、そもそも教育課程に定めがないもので、単に教師が正課授業の過程において、生徒に対して予習復習をしてくるようにという趣旨の指導をし、それを受けて生徒が行う学習を一般的に指称するものであるから、これは、自宅又は放課後の許容された時間内に学校において生徒各自が自主的自発的に行っているものであって、学校における教育活動の一環として位置付け、実施しているものではない。のみならず、本件事故当日は、各学級担任において、翌日からの中間考査に備えて放課後の文化祭準備活動を禁止し、早めに下校するよう指導していたのであるから、本件事故が附属中の教育活動と密接に関連する生活関係から生じたものとはいえない。

(3) 同(三)(3)の事実のうち、一般論として、校内暴力といじめの被害が社会問題となっていることは認めるが、その余は否認する。

附属中においては、創立以来、過去において暴力事件等の不祥事が発生したことはなく、本件事故当時もこれが発生することを具体的に予測できる事情は存在しなかったし、校長以下学級担任等により、常々暴力やいじめ等の発生を未然に防止するため、全校朝礼時、道徳の授業時間、学級指導の時間等において、道徳的自覚の向上を図る指導を行っており、さらに一般下校時である午後四時三〇分には、週番教官が校舎内、教室を巡回して下校等の指導を行っていて、それまでは教室に隣接している教官室に数名の教官が待機するという管理体制と生徒指導を実施しており、本件事故当日も右のとおりの管理体制のもとに下校指導をしたのであるから、附属中には、相当の自律能力と判断能力を有する中学三年生に対して、担任教諭ないしは代わりの教諭をして、放課後クラスの生徒全員が下校するまで教室に待機するなどして、生徒間に暴力行為等が発生することを未然に防止すべき保護監督義務など存在しないというべきである。

(4) 同(三)(4)争う。

原告らは、附属中は、学校の体面のみを気遣うばかり、達也の搬送先病院に永冨脳神経外科病院を指定したと主張するが、同病院は脳の専門医であり、学校の近くでもあったので、指定したにすぎないし、警察に通報しなかったのも、事故発生という緊急事態下で生徒から十分事情を聴取する暇もなかったところ、末吉医師が達也の死亡原因を病死である旨診断を下したので、あえて警察に通報しなかったのであり、また、被告聡が事実をありのまま告げなかったのも、附属中がその時点で事実を把握していなかったからであり、附属中の体面のみを気遣い本件事故が外部に知れるのを恐れたがためではない。

(四) 請求原因4の事実は全て争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者

請求原因1の事実(当事者)は当事者間に争いがない。

二本件事故

1  請求原因2の事実(本件事故の発生)のうち、原告らと被告聡、同岩義、同智子との間では、殴打の状況及び回数及び達也の死因であるクモ膜下出血の原因を除いては争いがなく、原告らと被告国との間では、達也が本件事故当時附属中三年C組の生徒であり、昭和六〇年一〇月二三日午後四時すぎころ、達也が三年D組の教室に入っていったこと、そのころ同教室内では被告聡らを含め数名の生徒が数学の問題を解いていたこと、達也がD組の教室内で倒れ、直ちに救急車で永冨脳神経外科病院に運ばれたが、同日午後一〇時三〇分に同病院で死亡したことについては争いがない。

2  右争いのない事実に、〈証拠〉を勘案すると、本件事故に至る経緯として、以下の事実を認めることができる。

(一)  達也は、昭和五二年四月に大分大学教育学部附属小学校に、同五八年四月に附属中にそれぞれ入学し、本件事故当日である昭和六〇年一〇月二三日当時は、附属中の三年C組に在籍していたが、小学校四年生ころからテニスを愛好し、健康診断においても特に異常を指摘されたことはなかった。本件事故当日の二三日も、達也は、いつものように午前七時四〇分ころに登校し、昼食の弁当を平らげ、その後は友人とバスケットボールをして昼休みを過ごすなど、特に身体に異常はみられなかった。

他方、被告聡も、昭和五二年四月に大分大学教育学部附属小学校に、同五八年四月に附属中にそれぞれ入学し、本件事故当日である昭和六〇年一〇月二三日当時は、附属中の三年D組に在籍していたが、小学校三年のころからラグビースクールに通い、附属中一年生の時には柔道部に入り、がっちりした体格であった。

(二)  昭和六〇年一〇月二三日午後三時二五分から、三年D組では教育実習生により学級会活動が行われ、午後三時五〇分ころに終了したが、志藤教諭は、右学級会活動の最後に行われた合唱の時に様子を見に来た後、D組の教室の隣にある三学年の教官室を経て中庭を挟んであるA棟二階の理科準備室に赴き、同年一一月一日実施予定の公開研究会発表の準備に携わった。右のとおり正規の授業を終えたD組では、下校のため三三五五生徒らが教室を出ていったが、なお二〇名たらずの生徒が教室内にとどまり、数名毎のグループとなり、学習や雑談をしていた。

(三)  達也は、同日午後四時すぎころ、下校するため三年D組の教室へ友人を誘いに行ったところ、被告聡が、同組の生徒である野間の机の左斜め前に持って行った椅子に座って数学の二次関数の解方を野間から教えてもらっていた。そこで、達也も、嶋津賢士、都甲敏弘とともにその中に加わり、嶋津が野間の机の右横に椅子を持ってきて腰掛け、都甲は被告聡の座っている椅子に共に腰掛け、達也は嶋津と都甲との間に立ってこれを見ていたが、そのうち、被告聡が達也に対して、「これ知っちょん。」と問題を示したところ、達也が「分からん。見たことねえ。」と答えたのに対し、被告聡が「えー知らんの。」と冷やかしたので、達也が「お前、野間ににてきたのー。」と言い返した。

そのため、それまで「お前」などと一度もいわれたことのなかった被告聡は、達也から侮辱されたと思い、「お前ちゃなんか。」と問いただしたのに対し、「いいじゃないか、お前で。」と達也が言い放ったので立腹し、座ったまま突然達也の右脇腹を左手拳で一回小突いたところ、達也がこれに応じて小突き返したので、その後右両名の間で二、三回小突き合った。被告聡は、達也の右態度に腹を立ていきなり立ち上がって達也の左胸を右手拳で力一杯殴りつけたので、達也は手で胸を押さえて机にもたれるような姿勢でうずくまったが、被告聡はこれにかまわず、達也の斜め前に再度座った状態で「お前ちゃなんか。」といいながら達也の顔面を右手拳で二、三回殴りつけた。ところが、達也が、これに反撃して被告聡の後頭部を殴打したことから、被告聡は、隣に座っていた都甲の制止も意に介せず、同人を押し退け、机と机との間の通路に出て左右の手拳を振り回して達也に殴りかかり、達也も手拳でこれに応戦して殴り合いになったところ、やがて右殴り合いも被告聡の一方的なものとなり、達也は防戦一方の形となり、終には被告聡に背を向け、中腰になって左右の耳付近に両手をおいて被告聡の殴打を防いでいたが、被告聡はなおも達也の背後からその後頭部や肩を、左右の手拳でボクシングのストレートやフックの要領で一発一発ぼこぼことにぶい音がするほど一〇数回強打する暴行を加えた後、再び元の場所に戻った。そこで達也も野間の机までゆっくり歩いて来て、屈んで自分の鞄を取ろうとしたが、取り得ないまま立ち上がったところ、よろよろしながら約二メートル教壇の方に引き返し、そこでけいれんを起こして崩れるようにして倒れ、意識を失った。

(四)  そこで、その場にいた三年D組の学級委員長園田広典から通報を受けて附属中三学年の学年主任教諭であった高木金太郎(以下、「高木教諭」という。)、三年B組の担任であった宮崎教諭、養護教官の三宮昭子らが次々と三年D組の教室まで駆け付けたが、そのときの達也はあお向けに手足を伸ばして倒れており、いびきをかいていた。そこで、三宮養護教官らは、直ちに救急車を要請し、達也を同日午後四時二五分到着の救急車によって四時二九分に永冨脳神経外科病院に搬入したが、救急隊員上木謙司の診察によれば、救急車到着時の達也は、頻脈、徐呼吸で、瞳孔には対一センチメートルの粘膜挫裂があったこと、次に内景所見として左耳後部から同後頸部にかけての腫脹に一致して、皮下及び筋肉内出血が認められ、該部分は著明な浮腫状を呈しており、頭蓋骨及び硬膜上下腔に著変は認められなかったものの脳は高度に腫脹して柔らかく、脳表面には小脳橋及び延髄下面を中心としてクモ膜下に広範な出血があり、出血の範囲は上部頸髄のクモ膜下に及んでいたこと、そして脳底動脈から出る橋枝のうち最後部の一対が小脳半球に分布し、その左枝には左小脳橋角部において大豆大の凝血塊の固着があったことが認められる。

右認定の事実に、前記二2(一)に認定の達也の本件事故当日昼ころまでの状況及び前記二2(三)認定の被告聡の加えた暴行の程度、態様を併せ考えると、本件クモ膜下出血の原因は、右暴行による介達的外力とこれによる痛み並びに一過性血圧上昇がきっかけとなって、前記動脈瘤が破裂して生じたものと認めるのが相当である。

もっとも、〈証拠〉には、達也のクモ膜下出血は外傷によるものではなく、原因不明のいわゆる本態性のものである旨の被告らの主張に沿う部分が存する。しかしながら、同証言によれば、右判断の根拠としては、初診時達也に顕著な外傷が認められなかったことを前提としているところ、右(一)に認定のとおり、達也には解剖所見として相当な外傷が認められるのであるから、前提を異にする右供述記載及び証言は信用することができず、被告らの右主張は到底採用することができない。

右認定の事実によれば、被告聡の加えた暴行は、被告聡らが主張するような軽微なものではなく、達也に発症していた前記脳底動脈瘤が破裂しても決して不自然ではないほどのものであったということができる。

(五)  ところで、〈証拠〉によれば、達也に発症していた前記動脈瘤は、大豆大以下の極く小さな未発達のもので、日常生活に何ら支障をきたすものではなく、達也はもとより原告らにおいても右疾患には全く気付いていなかったことが認められるので、被告聡が、前記暴行により右動脈瘤が破裂して達也が死亡するなどとは到底予見できなかったということはできる。しかしながら、被告聡の前記暴行の程度、態様、特に暴行が加えられた部位に照らすと、被告聡は、右暴行により達也に重大な傷害を与えるであろうことは十分に予見できたというべきであるから、達也が右動脈瘤の疾患を有していたからといって、これが被告聡の暴行と達也の死亡との間の因果関係を中断することはないというべきである。

以上によれば、被告聡の本件暴行と達也の死亡との間には相当因果関係があると認めるのが相当であるから、被告聡、同岩義、同智子の右主張は採用できない。

2  被告聡の責任

本件事故当時、被告聡は満一四歳八か月の事理の弁識能力を備えた中学三年の男子生徒であったことは当事者間に争いがないところ、被告聡は、前記2(三)で認定のとおりの暴行を達也に加えたのであるから、本件事故の発生について過失があることは明らかである。

3 被告岩義、同智子の責任

〈証拠〉によれば次の事実をみとめることができる。

(一) 被告聡は、中学校の教師である父被告岩義と母同智子の二男であり、上に兄、下に妹がそれぞれおり、本件事故当時は母方の祖母とともに六人家族で生活していた。

(二) 被告聡は、小学三年生の時からラグビースクールに入るなど元気な子供で、思いやりと優しさを有する反面短気ですぐカーツとなる気性の激しさを持っていたが、家庭内においては、三歳年上の兄と口喧嘩をしたり、親に対しても口答えをすることがあるものの、手を出すということはなく、また近所の子供達と喧嘩をするというようなことはなかった。

(三) 被告聡は、小学五年生の時、他の児童を目の回りに黒痣ができるほど殴打するという暴行事件を起こしたことがあり、又中学校に入ってからも後記4(二)(2)ロで認定するように教室内で同じクラスの生徒に中指骨折という重傷を負わせたり、同級生と殴合いの喧嘩をしたことがあったが、右中指骨折の時は被告聡のふざけから偶発的に生じたものであったことから、また右殴合いの時も相手の受傷が打撲傷程度であったことから、いずれも両親が学校に呼び出されることはなかったため、被告岩義、同智子はこのことを知らなかった。しかしながら、被告聡の暴力的性格は、同級生の間ではかなり知れわたっていたが、被告岩義、同智子は、学校からの連絡を受けていなかったため、このことも知らなかった。

(四) 被告岩義、同智子は、被告聡の性格からすれば、同人が何時喧嘩をするかも知れないと思っていたので、同人に対し、平素から喧嘩をしないよう、もし喧嘩をしても決して手を出さず話し合うようにと説諭するなど指導していたが、学校側に対し、学校内における被告聡の行動を問い合わすなどということはなかった。

右認定の事実によれば、被告岩義、同智子は、被告聡に対し適宜説諭するなど同人を決して放任していたわけではなく、それに被告聡の素行、従前の生活態度からすれば、被告聡が学校で同級生に対し前記二2(三)で認定したような執拗な暴行を加えるなどということは思いもよらなかったことであると認められる。

もっとも、右事実によれば、被告岩義、同智子は、被告聡の学校内における行動様式と家庭内における行動様式との間にかなりの相違があったのにこれを看過していたということができるが、これを、被告岩義、同智子が積極的に学校側と連絡を取り、学校内における被告聡の行動の把握に努めるべきであったのにこれを怠ったがためであるとして、被告岩義、同智子を責めるのはいささか酷であり、それは、被告岩義、同智子が学校から適切な連絡を受けていなかったことによるものとして、むしろ教育現場を預かる学校側の責任というべきであろう。

そうすれば、被告岩義、同智子が、被告聡に対する保護者としてなすべき監督義務を怠っていたということはできない。

4  被告国の責任

(一)  原告らは、学校事故発生の予見、回避義務は教師個人に求めるものではなく、学校という教育組織全体に求めるべきであるから、学校事故による損害賠償の前提とされる教師の故意過失は教師個人の有責性とともに学校組織全体に求めるべきであると主張するのに対し、被告国は、原告らの本訴請求が国賠法一条一項に基づくものである以上、個々の公務員の不法行為の内容を具体的に主張せず、学校組織全体の義務違反のみを理由とすることは許されないと主張するので、まずこの点について判断する。

国賠法一条一項が公務員の不法行為を前提にしている以上、個々の公務員の不法行為の内容を主張しなければならないのはいうまでもないが、一般的に学校における日常の教育活動は、教師という生身の人間が現場に臨んで行うものであるから、学校事故もその現場に監督の任に当たる教師がいる場合に発生することが多く、その場合にはその者の個人的主観的な故意過失を問題にすれば足りるが、例えば、その現場に監督の任に当たる教師がいなかった場合には何故に教師が現場にいなかったのかについての責任が問われることになり、そのような場合には現場監督者である教師個人の責任とともにこれを超えて校長や他の教師らの責任をも含めたいわば学校側の責任が問題とされることもあり、この場合には個々の個人的主観的な故意過失の判断とは異なるいわば複合されたとでもいうべき故意過失という判断が要求されるのであって、その判断の対象となる故意過失を原告ら主張のように学校組織全体の故意過失というも、その主張事実に照らすと、かかる趣旨のものと理解することができるから、原告らの右主張は必ずしも是認できないものではない。

(二) 公立中学校の教師が、学校教育法の精神ないし立法趣旨からして生徒を親権者等の法定監督義務者に代わって保護監督する義務を負うのはいうまでもないが、右保護監督義務は、中学校における教育活動及びこれと密接不離の関係にある生活関係に限られるところ、その内容、程度は、教育活動の性質、学校生活の時と場所、生徒の年齢、知能、身体の発育状況等の諸般の事情によって異なるものであるから、これら諸般の事情を考慮して、当該事故が学校生活において通常生ずることが予見され、又は予見可能性がある場合、あるいはこれを予見すべき特段の事情が存在する場合に右保護監督義務違反の責任が生ずることになると解するのが相当である。

(1)  原告らは、本件事故は正規の授業時間終了後の自主学習と称している時間帯である少なくとも附属中の教育活動と密接不離な関係にある生活関係から生じたものであると主張するのに対し、被告国が、これを争うので、まずこの点から判断する。

〈証拠〉によれば、附属中では、通常第六時限の授業終了後の午後三時五分から三時二〇分までの清掃を挟んで午後三時二五分から三時三五分まで行われる学級会活動(以下「帰りの学活」という。)をもって正規の教育活動が終了し、以降はいわゆる放課後ということになっていたところ、かねてからクラブ活動をしていない生徒でも、帰りの学活終了後、数名がグループになるなどして自主的に学校に居残り、教室において予習復習をかねて学習で判らないところを教え合ったり、或いは図書館に赴いて読書したり、或いは友人同士で何らかの語らいをしたりすることが行われてきており、学校側も、かかる生徒達の行動を当該生徒の自主性を涵養する学内活動の一つとして、一般下校時間と定めている午後四時三〇分までの間に限り許容し、右生徒達に対しては、自らの責任において行動するようにとの指導を行ってきたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、附属中においては帰りの学活終了後一般下校時間である午後四時三〇分までの時間帯において、自主的に学校に居残り前記認定のごとき活動を行っている生徒については、なお同校の教育活動と密接不離な関係にある生活関係の範囲内にあるものとして、保護監督義務があるものと認めるのが相当であるところ、前記二2(二)、(三)認定の事実によれば、本件事故は附属中の保護監督義務の範囲内で生じたものというべきである。

(2)  そこで、進んで本件事故発生の予見可能性について検討する。

イ  被告聡達が行っていた自主勉強は、正規の授業時間終了後のいわゆる放課後においてであり、前(1)項認定のとおり体育クラブの活動と異なり、あくまで生徒達の自主性を尊重するという立場に立脚したものであることに鑑みれば、何らかの事故が発生する危険性を具体的に予見することが可能であるような特段の事情のある場合は格別、そうでない限り、学校側としては、担任教師ないしは代わりの教師をして、教室に在室ないしは巡回させるなどして、右自主勉強に立ち会わせ、これを監視指導すべき義務はないというべきである。

ロ  そこで、右特段の事情の有無につき検討する。

一般的に、いじめや暴行等のいわゆる校内暴力が放課後等教師の目の届かない時間帯、場所において発生し、これが重大な社会問題の一つとなっていることは公知の事実であるところ、〈証拠〉によれば、附属中においても、過去かなりの数の喧嘩や暴行事件やごく一部ではあるが陰湿ないじめもあり、被告聡は、中学に入ってからも五回の暴行事件を起こしており、そのうち二回は本件事故の前日と一週間前に起こしたもので、右二回の暴行事件は、中学二年の時に起こした暴行事件とともに、学校側もその事実を把握していたが、一回は同じクラスの生徒の中指を骨折させるという重大な結果を発生させたものの、その発端が被告聡の当該生徒の答案を取り上げるというふざけから偶発的に生じたものであったことから、他の二回はいずれも被告聡の加えた暴行、傷害の程度がそれほど大きくなかったことから、学校全体の問題とせずに学年指導主任の段階の問題として取り扱い、したがって、家庭には特に連絡しなかったこと、しかしながら、同級生の中の何人かは被告聡から暴行を受けており、これら暴行を受けた者や暴行を目撃した者の間では、被告聡の暴力的性格は知れわたっており、本件事故当時三年B組の担任であった宮崎教諭も被告聡の右性格をある程度認識していたが、同教諭を始め志藤教諭その他の三学年担任教諭らの目には、被告聡を短気で感情の起伏が激しい性格の持主であるが、反面明るい性格も持っており、特に目立つ行動をとるようなことのないごく普通の生徒であると映っていたことが認められるところ、本件事故当日が、近ずく文化祭の準備活動のため解放的雰囲気に包まれていたと認めるに足りる証拠はない。

ところで、〈証拠〉によれば、附属中では、全校朝礼時、道徳の授業時間、学級指導の時間等において、校長、副校長、生徒指導主任及び学級担任教諭等により深い愛の心を持ち、耐え忍ぶ心を養うなど道徳的自覚の向上を図る指導をしており、また、一般下校時である午後四時三〇分には、各学年毎に定められている週番教諭が、それぞれの教室や校舎内を巡回して下校指導を行っており、それまでは各学年の教室の西側にそれぞれ隣接して存在する教官室に他の教諭数名とともに待機するという体制を採っていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

上記各認定の事実によれば、附属中に、生徒全体に対する指導とは別に、特に被告聡の暴力的性格に意を配り、担任教諭等をして被告聡に対し説諭するなどして二度と暴力を振るわないよう指導教育すべき義務があったとまではいえなく、これに前記(二)(1)認定の自主勉強という性質、行われていた時間帯と場所、及び自主勉強をしていた生徒達がいずれも中学三年生で相当の社会経験も積み学校生活にも適応し、十分な判断能力と自立能力とを兼ね備えているといえることを勘案すれば、本件事故発生当時、附属中には、何らかの事故発生の危険性を具体的に予見できるような特段の事情は存在しなかったというべきであるから、本件事故の発生を未然に防止すべく適切な措置を行う保護監督義務はなかったというべきである。

(3) ところで、原告らは、附属中に右保護監督義務があったことは、本件事故発生後における附属中の措置、態度からも明らかであると主張するので、特にこの点につき言及する。

〈証拠〉によれば、附属中は、本件事故発生後、達也を直ちに永冨脳神経外科病院に搬送し、末吉医師の治療を受けさせたが、その際、本件事故が被告聡と達也とのふざけ合いによって発生したものでないことは判っていたのに、被告聡が末吉医師にその旨を告げるのを真相が判明していないとして黙認し、同医師をして、結果的に本態性クモ膜下出血(病死)という誤った診断をさせてしまい、本件事故の真相が判明した後においても、右病死という診断に依拠して、学校独自の判断で警察に通報せず、かつ、原告らに対しても対拠しようとしたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、附属中は、本件事故を達也の病死として取り扱おうとしたことは明かであり、これは、附属中が、あえて真実から目を逸らし、その体面のみを考慮したものであると批判されても致し方のない行為ではあったが、これが附属中の体質であるとして、前記認定を左右するとまではいまだいうことはできない。

(三)  以上の次第であるから、附属中の保護監督義務違反を前提とする原告らの被告国に対する本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

四損害

1  達也に生じた損害

(一)  逸失利益

本件事故当時、達也が満一五歳であり、成績もクラスの上位にあったことは原告らと被告聡との間で争いがなく、〈証拠〉によれば、達也は、将来医師になることを志し、両親である原告らも達也の大学進学を強く希望していたことが認められるから、本件事故がなければ、達也は四年制大学に進学する蓋然性は極めて高く、そうすれば、その就労可能年数は大学卒業見込みの満二二歳から六七歳までの四五年間と推認するのが相当であり、そのライプニッツ係数は12.632である。そこで、昭和五九年度の賃金センサス第一巻第一表男子労働者新大卒の全年齢平均賃金である年額四八九万四一〇〇円により、生活費として五〇パーセントを控除して達也の逸失利益の現価を算出すると三〇九一万一一三五円となる。

(二)  慰謝料

本件事故に至る経緯、その態様や原告らが固有の慰謝料請求をしていること、その他諸般の事情を考慮すれば、その慰謝料額はこれを一〇〇〇万円と認めるのが相当である。

2  原告らに生じた損害

(一)  慰謝料

〈証拠〉によれば、達也は、原告ら夫婦の一人っ子であり、将来医師になることを志し、原告らも大いに期待していたうえ、原告共子には過去に子宮摘出手術を受けた関係上もはや実子を持つことも望めないことが認められ、右事実によれば、原告らが、達也の無惨な突然の死により、その生きがいをすべて奪われたというも過言ではない精神的苦痛を被ったであろうことは想像に難くないところ、達也に対する前記慰謝料額などを考慮すれば、その慰謝料額はこれを原告各自につきそれぞれ五〇〇万円と認めるのが相当である。

(二)  葬儀料・病院関係費用

原告らが、達也の葬儀料として五〇万円を、病院関係費用として合計五万五七七〇円をそれぞれ支払ったことは、原告らと被告聡との間で争いがないところ、右各金員はいずれも本件事故と相当因果関係にある損害と認めるのが相当であるので、原告ら各自の負担額は二七万七八八五円ずつとなる。

3  過失相殺等

前記二2(三)、(四)で認定した事実によれば、本件事故については達也にも一端の責任があり、また、その死亡についても当時達也に発症していた動脈瘤がその一因となったことは否定できないので、これらの事情を考慮すれば、前記各損害のうち六割に相当する部分を被告聡の暴行に起因するものと認めるのが相当である。

そうすると、達也の損害は二四五四万六六八一円、原告らの損害はそれぞれ三一六万六七三一円となる。

4  相続

原告らが、達也の相続人としてその権利を二分の一ずつ相続したことは原告らと被告聡との間で争いがないから、原告らは、それぞれ達也の右損害賠償請求権の二分の一に相当する一二二七万三三四〇円を取得したことになる。

そうすれば、原告らの各損害はそれぞれ一五四四万〇〇七一円となる。

5  損害の填補

原告らが、日本体育・学校健康センターから、死亡見舞金として一二〇〇万円の支払をうけたことは原告らの自認するところであるから、これを二分の一ずつ原告らの前記各損害から控除するとそれぞれ九四四万〇〇七一円となる。

6  弁護士費用

原告らが、それぞれ本件訴訟の提起及び追行を原告ら代理人に委任していることは明らかであるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額等を考慮すれば、これに要する費用のうちそれぞれ一〇〇万円の限度で、本件事故と相当因果関係にある損害と認めるのが相当である。

五結び

以上によれば、原告らの本訴請求は、被告聡に対しそれぞれ一〇四四万〇〇七一円及びうち九四四万〇〇七一円に対する本件事故の日の翌日である昭和六〇年一〇月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容するが、被告聡に対するその余の請求及び被告岩義、同智子に対する各請求並びに被告国に対する請求はいずれも理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官山口毅彦 裁判長裁判官最上侃二は転補のため、裁判官和田好史は退官のためいずれも署名捺印できない。 裁判官山口毅彦)

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